disease

病気

2016.04.15 ( Fri )

内視鏡検査の苦しさを気づいてくれない7人の医師


内視鏡検査の苦しさ

検査が続いた。ある日、ベッドサイドを七人の男がとりまいた。白衣に身を包んだ少壮の外科医7人。リーダー格らしい一人が鳥海(仮名)さんの頭上でこう告げた。

「われわれ7人があなたを担当することになりました。、執刀医は膵臓手術の名医です。心配はありません」
精密な検査と治療が早急に必要ということはすでに聞いていたが、執万医云々というからには、これは手術か。鳥海(仮名)さんは一瞬ひるんだ。

リーダー格の有無を言わせぬものの言いように抑えつけられそうになった。

「え?じゃあ、私、手術するの?」

白衣の壁がかすかにゆらいで、なかのもう一人が、「いえいえ、まだそうと決まったわけではありません」ととりなした。鳥海(仮名)さんは沈黙した。

7人は去っていった。さらに歩きかたや体型の差から、鳥海(仮名)さんはひとりひとりにあだ名を奉って、ちょっとした腹いせを試みた。

やがて、この7人はベッドをとりまくとき、その序列に従って順に発言することを知った。似ているようで似ていない、似ていないようで似ている集団。

内視鏡検査の日であった。胃カメラをのむのは、これがはじめてではなく、鳥海(仮名)さんはリラックスしていた。もっともその日は胃を通り抜けでその先、十二指腸にカメラを送りこむという。しかしタカをくくっていた。気分が高揚していたのだろう。7人たちにいいとこを見せたかったのかもしれない。

カメラをのんだ。胃をこえて十二指腸への旅はおやおや遠い。やっとカメラはかんじんのポイントに達したらしい。しかしその先が大変だった。カメラはああでもないこうでもないと向きをかえ、うろうろする。

ようやく、ここだここだ、と視点が定まったらしいが、それからの停車時間の長いこと。カメラをのむ前、苦しくなったら右手で自分の足をパタパタと叩いていて、医師に知らせることと、約束ができていた。

苦しい。がまんできない。気を失いそうだ。鳥海(仮名)さんは右手で自分の足をパタパタした。しかし誰ひとりとして、そのサインを受けとめてくれない。

医師たちは画像にとらえられた病根を見つけて心おどっているらしい。すぐそばに立つ医師の白衣のすそを思いきり引っ張ってみた。しかしそれにも反応がない。

苦しい。胸が苦しい。あと一分とがまんできない。「目をあけて!目をあけて下さい!」

やっと鳥海(仮名)さんの急変に気づいたひとりの医師が叫んだ。目をあけようにもあけられない。「ニトロ、ニトロ」「血圧計!」「酸素!」「心電図!」と声がとびかい、ただならぬ雰囲気。

「苦しいんだから胸と背中を誰かがさわってくれたらいいのよ。撫でてくれたらいいの」と、心のなかでそう訴えるが、声にならない。

胃カメラが引きあげられ、平静が戻った。鳥海(仮名)さんは過去に狭心症と診断されたこともあって、何かのはずみに息苦しくなる不安をかかえている。事実、入院中、気を失いそうになったことは一度ではない。その都度、医師や看護婦は「心電図」と叫ぶ。

準備がととのったときには発作はおさまっている。すると空気が険悪になる。こっちも聞が悪い。

「ちょっと手をあててくれたら、やすまるかもしれないのに。手あてという言葉がなくなったというけど、うーんこういうことなのねと思った」

先端医療機器が幅をきかす時代に生じるギャップ。発作はおさまったのに、ちょっと面白くない空気が、治療する側にもされる側にも残ってゆく、すき間風である。

内視鏡検査のあと、やはり手術と決まった。手術日は入院して五十二日目の十月十九日。

「切ればなおる。悪いところをとってしまえばいいのだ」と鳥海(仮名)さんは前向きに考えたのだった。

看護婦のAさんが鳥海(仮名)昭子さんの受持ちと決まったのは、手術が確定し、それまでの口腔外科病棟から消化器外科病棟に転入してきた十月初旬であった。

Aさんは勤続二十年をこえるベテラン。手術室をふり出しに主として外科系の病棟で働いてきた。少女のころは俳優志願だったという。実際に都内の小さな劇場の舞台に立ったこともある。

生活を支えるために看護婦、演劇は余暇活動との二筋道を考えたが、演劇仲間は本職一本ヤリだ。本職派のなかで余暇派のAさんは孤立、結局看護婦の一筋道を歩むことになった。結婚は選ばなかった。

Aさんの鳥海(仮名)さんについての印象は努力が要りそうだ、の一語にまとめられるだろう。入院すると患者についての記録が日ごとに集積されてゆく。本人の氏名、性別、生年月日、住所、家族関係や職業の有無や具体的な暮らし、誰と同居しているかはもとより、とくに患者にとってのキーパーソン(経済的なことも含めてもっとも身近で信頼をおいているひとの意)の特定が、大事なこととしておこなわれる。

患者の意向を代行するとともに、病院側の意向も伝えて、常に合意を形成し、変化に適切に対処してゆくために選び出されるのが、キーパーソンである。

こうした患者本人についての一定のプライバシーを含んだ情報のほかに、もちろん医師によるカルテ、検査結果、さらに病棟詰めの看護婦による患者の日常の観察記録(血圧、脈拍、体温、食事や排池排尿、自立の度合い、投薬、処置とその評価が時々刻々記入される)や看護計画がつくられてゆく。

ナースステーションの見やすい棚には、入院患者ひとりひとりの動静が分・時単位で記された分厚いドキュメントが保管され、そこに患者像が把握されている。

Aさんが鳥海(仮名)さんについて努力を要すという印象を持ったのは、他病棟に入院した時点からの各種の記録、カルテ、情報がその元になっていたわけだが、そこでの鳥海(仮名)さんへの評価は、

  1. ストレスが強く
  2. わがままで
  3. 気むずかしい

という、患者となっていたのだった。

記録のなかには、ひとつの事件が記されていた。仮にそれを結膜炎事件と名づけておく。

鳥海(仮名)さんは入院十三日目に、突然目がまっ赤になった。当時、病室には見舞いの花が続々とどけられていたのだが、鳥海(仮名)さんは花粉症の症状よろしく、くしゃみと涙にせめられ、目はまっ赤に充血してしまった。

折りあしく土・日がはさまり、眼科の診療を受けるまでにはそのままの状態で、まるまる二日過ごさねばならなかった。診察の結果、これは悪質なハヤリ目と診断され、ただちに隔離されることとなった。

個室に隔離された。そこまではまあよかった。個室の高額な請求書がすぐにとどいて、鳥海(仮名)さんは驚いた。ハヤリ日の診断の際「あんた、どっからこんなもの持ってきた?潜伏期聞は十日ですからね」と言われた。

「十日前はすでにこちらの病院に入院しておりました」。憤然として言い返したが、ともかくなおすのが先決だから隔離された。請求書が怒りを倍増させた。

「入院中にもらったハヤリ目でも、それは患者個人の有責事項になるのか。高い個室に隔離されてその部屋代まで請求されるとは、患者をふんだりけったりするのと同じではないか」。

検査だけの期間だから出かけたいという希望を持っていた。

「こんな不誠実な病院にはもういられない。出してほしい。出してくれないなら窓から飛び降ります。」鳥海(仮名)さんはこう抗議した。そうして、憤然のつづきに断固実力行使して五日間の外泊許可をとりつけた。

病院側もその権幕にはおそれをなしたのか、隔離と言っていたのが急転回して外泊に決着、鳥海(仮名)さんは仕事の日程をこなして再び病院へ戻った。ハヤリ目は軽快していた。

この顛末は、彼女の記録に逐一書きこまれ、その結果、わがまま、気むずかしい人という評価になったのである。Aさんは鳥海(仮名)さんと初対面のあいさつをしたあと、記録にこうしたためている。

二週間後におこなわれる手術を前にしての課題として、

  1. 患者を好きになれるか
  2. 自分を信頼してもらえるか
  3. 患者の長所を早く見つけなければ
  4. 努力必要

の4点であった。

一方、鳥海(仮名)さんも、これからの難所をこえてゆくときのパートナーになるAさんに、アプローチを試みている。

患者は自分がどういう経歴、気質、生き方をしてきたか、しようとしているか、という人間の側面を、病院、そしてとりわけ看護するサポーターにはまっすぐ受け入れてほしいと願っているものだ。

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