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仕事

2016.04.14 ( Thu )

全身麻酔手術からくる幻覚とディスコミュニケーション


全身麻酔をする医師と補助する看護師

手術は八時間かかった。

〈すい頭十二指腸切除〉という大手術である。前聞きの白い手術着を着せられ、ストレッチャーで手術室に運ばれた。19993年10月19日午前10時過ぎ。

手術室と向かい合わせの待合室には二人の身内に待機してもらった。一人息子の裕君(二十八歳)と妹である。二人には、緊急に備えて連絡先のアドレスを渡しておいた。また、術後の介助の人手についても相談しておいた。万事ぬかりなし。あとはあの執万医のおおらかな人柄に免じて、姐上の鯉になろう。

一期の別れになるのかもしれない

「大丈夫よ」とはげます妹の声が聞こえた。やさしい声だと思った。息子の裕君は無口なタイプで、こんなときはよけいに無口になるのだろう、頬をこわばらせてストレッチャーの上の母を見送るだけだった。

「麻酔を打ちます」という声が耳もとに落ちてきた。その瞬間からだろうか、鳥海(仮名)さんはすべての感覚を失い、眠りの渦の奥底に引きこまれていった。

8時間、何も聞こえず何も覚えない空白の8時間が不意に終わった。「終わりましたよ」という言葉は誰のものだったか、医師か看護婦か、さだかではないが「終わった」ということだけは覚った。

麻酔後の流れ出典:東京女子医科大学 麻酔科

目を開けてあたりをたしかめようとした。あたりはぼんやりと白く、霧にまかれたときのように、何も見えなかった。ストレッチャーが手術室を出ると、霧の奥から妹の声がした。

「よかったね」

息子が「わかる?ぼくだよ、裕だよ」と言った。鳥海(仮名)さんは首を動かして、うん」と合図したことを覚えている。集中治療室(ICU)に入った。重篤な患者、術後の重症者が収容され、繊細な治療、看護を受ける場である。

やがて、天井に淡いピンクや乳白色のパラの花々が輪を描きながら大きく渦となり、パラの花の聞を天使がはばたくのが見えた。

「何てきれいなのだろう」

幻覚とはとても思えなかった。天井いっぱいにバラが咲き天使が舞っていると、鳥海(仮名)さんは信じた。

術後の苦痛は、これといって感じなかった。一夜が明けた。隣のベッドに、知人の息子さんが入院してきた。その息子さんのところへ見舞いにきた養護施設のこどもたち(鳥海(仮名)さんはつい半年前、その養護施設を定年退職したばかりだった)が病室になつかしい鳥海(仮名)さんの名札が出ているのを見つけて、見舞って帰りたいと口ぐちに言いだした。

麻酔がきれてもうろうとしている小児患者

出典:hinden (まほまほファミリー)

鳥海(仮名)さんは医師に、面会させてもらいたいと頼んだ。会わせてほしいと懇願した。こどもたちはもうすでに病室の前にきていて、枕もとの向こうの壁にあいているすき間、掃き出し口のような小さな窓から顔をのぞかせ、先生、先生 と叫んでいるではないか。

ああ三郎と四郎だ。

鳥海(仮名)さんは立ちあがろうとした。「幻覚幻聴ですよ」医師はそう説明した。しかし鳥海(仮名)さんにはどうしても幻覚幻聴とは思えなかった。

こどもたちは毎日のようにやってきては、その窓から顔を出した。三日目、鳥海(仮名)さんは体を起こして、あるはずの窓を探した。窓はなかった。医師の言うことが真実で、自分の見たもの聞いたものはすべて幻であったと知ったとき、全身から力が抜けていった。

うちのめされ、何ものかに自分を奪われた感じ、奪われ傷ついたという感覚、つまりは自尊心をしたたかに傷つけられ打ち沈んでしまったのだ。

あとで息子の裕君にきくと、幻覚幻聴で操状態になり荒れた期間は、一週間だったという。自分では三日か四日くらいと思っていたが、もっと長かった。

手術時の全身麻酔による後遺症としての幻覚幻聴であったのだが、鳥海さんはそうとは知らなかった。医師からの説明も受けていない。幻覚幻聴に見舞われて不思議な時聞を浮遊するということ、またそのような異変について何の示唆もされないということ。

病むとは、幾重にも謎にとりまかれ、濃霧の石ころ道をあえぎあえぎ歩むことなのか・・・と鳥海(仮名)さんは、病んでみてはじめて知ったのであった。

生病老死

生病老死という、かたちあるものは滅びる。ひともまたかたちであって、私たち人聞は誰しもいつかは死に至る。

生病老死という有名な言葉がある。生あるものかならず病をえて老して死ぬ、というほどの意味だが、この解釈は現代社会ではいささか違う。
元来、生ある者かならず(肉体的、精神的な)病が付きまとうもので、生が病と道連れであることは、古今東西普遍の恒理だ。

ひとの死のかたちは千差万別、ひとの数ほど死のかたちもあるのだろう。それを非常に大ざっぱにふたつにわけると、病を経ない死と、病を経ての死がある。前者は事故死や戦場での死や殺人や刑死などであり、統計上もっとも多いひとの死は後者の、病を経ての死であろう。

自殺死はこのふたつの死の中間にあるのだろうか。いずれにしても、ひとはいつかその人生を終える。そうして、いかなる死を迎えるにせよ人生の途上において、ひとは誰しも、肉体を病みあるいは傷つき故障し、そのたびにふと死をおそれる。

生病老死といっても、生老死はいずれも一度である。しかし病は軽いのや重いのやその中間のや、あれやこれやとまことに多様で、自他ともに病気の問屋と認定ずみのひともいる。

病は、人生に組みこまれた一要素、無病息災は夢として持ちつつも、病からはのがれられない私たちだ。病んだそのとき、当の私がどういうことに遭遇するか。あなたがどういう状況に置かれるか。これからの叙述はそこに触れてゆきたいと思っている。

とりわけ、病んだとき、入院加療を受けるなかでもっとも身近にあって病んだ私とともに生きてくれる看護師さんとよびならわされている看護職のひとびとに、焦点を合わせてみよう。

看護師さんの実像

看護師とは、いままさにこの社会にあって、それぞれの病院に病むひとびとのベッドサイドにあって、どういう仕事をしているのか。どういう働きを及ぼしているのか。何を思い何を苦しみ、またよろこびにしているのか。

そうして、看護職にあるひとびとが、看護という仕事についてどのような認識を持っているのか。看護師さんの実像を、いささかなりとも明らかにしたいと思っている。

その手はじめにまず、ひとが病むときについて語っていこう。病み方とてひとつでなく千差万別は承知の上であるが、麻酔による幻覚幻聴で、パラと天使と長年愛情を注ぎこんできた養護施設のこどもたちと触れあった鳥海(仮名)さんを、ちょっとうらやましく思ったりする。

私が同じ麻酔で眠り、日ざめたとき、バラや天使があらわれてくれるだろうか。

それはともかく、私は少々欲を出して、鳥海(仮名)さんの病いの日々をサポートしてくれた受持ち看護師のAさんにもサポートの日々を語っていただいた。

二本のレールが時を経て、しだいに一本のレールのように重なりあってゆく過程が見えると思う。しかし、重なりあっている部分と、そうでない部分もあきらかにある。病むひととサポートするひととの聞に、ギャップが見えかくれする。

たとえば、幻覚幻聴の時をさまよったとき鳥海(仮名)さんは、そうとは知らないからバラや天使やこどもたちの来訪を、真実だと思いこんだ。しかしそれは幻であった。

私はAさんにたずねた。

「なぜ、患者にそういうことが起きる、あるいは起きるかもしれないとあらかじめ伝えないのか」と。これは医師の仕事の範疇に入るのか、それとも看護サイドの仕事なのか。

Aさんの答えはこうだった。

鳥海(仮名)さんが受けられた手術の場合の麻酔の影響については、一般的にはたとえ幻覚幻聴が起きてもそれは患者の記憶にとどまらず忘れられる、消えると考えられているのですね。

そうした麻酔の影響よりも、術後どういう経過をたどって回復に向かうか、その聞に考えられるリスクについて説明するのが医師側の本筋の仕事です。もちろん個々の医師によって、どこからどこまでを説明するのかニュアンスの違いはありますが。

鳥海(仮名)さんには事前に、幻覚幻聴が出るということは、医師も私も伝えていないのですが、それは手術に関連する本筋のことではないという判断があったからです。

鳥海(仮名)さんが、自分の幻覚幻聴にこだわるのは、それが事実だと思って、医師やAさんたちに「こどもに会わせてほしい」と大さわぎしたことの恥ずかしさ、またそのほかにも隣室にしきりにひとが出入りする幻を見て(幻と知ったのはのちのことだが)さかんに抗議した記憶があり、幻と知っていたら、さわぎを起こさずにすんだのにと、恥ずかしく、くやしい思いにとりつかれたからである。

Aさんはしかし、不思議そうに言った。

「記録にはそういう大さわさの事実はのってませんし、私自身、鳥海(仮名)さんが穴にも入りたいとおっしゃるほどのさわぎを見てないのですが」

ただ、Aさんの経験として、非常に強く幻覚幻聴にこだわる患者がないではないという。Aさんはあるとき、患者のひとりに問いつめられたことがある。

手術の終わったあと、ひとりの看護師がベッドサイドに立ちつくして私をじっと見おろしていた。あの気になる看護師はキミだと思うが。つまり麻酔で取り乱したらしい自分、自分の弱さをキミに見られてしまったというコンプレックスをぶつけられたことがあるという。

「まったくそれは身に覚えのないこと。手術の勤務表をさがして、当日私がそこにいなかったことをあとで証明しましたが」

人間は身も心も、傷つきやすい存在である。病めばなおさらだ。麻酔薬ひとつで自分を失うことがあり、失うことへのおそれに傷つき、失ったであろうと想像してさらに傷つく。

鳥海(仮名)さんがそうだった。しかもそのことを、まだ初対面のうちのAさんには率直に告げられず、恥ずかしさの繭のなかに自分をとじこめてしまった。

Aさんも、鳥海(仮名)さんがそれほどまで傷ついていたとは知らなかった。

「ひと言ほしかったのよね」という鳥海(仮名)さんは、六か月の入院闘病ののち、退院して一年余を経過したいま、ようやく精気をとり戻し、児童福祉の専門家として、また自由律の歌人としてのライフワークに取り組んでいるが、「ほしかったひと言」は、じつはほかにもあった。

きつい言い方になるが、病むということは、思わぬディスコミュニケーションの森に迷いこむ混乱の道行きでもある。

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